「原水爆禁止世界大会」 世界が手を合わせて平和な世界を

コロナ禍のもとで考えよう 核兵器・地球・私たちの未来

広島と長崎で核兵器が最初に使われてからことしで75年になります。

年明けからまもなく新型コロナウイルスが瞬く間に広がり、日本でも世界でも人々はマスクをかけ、仕事や学校を休み、店を閉め、イベントや会合を中止したり延期したりして、新型コロナとのたたかいで協力し合ってきました。国際政治の舞台でも国連のアントニオ・グテーレス事務総長はいち早く、世界の一切の武力紛争を止め、新型コロナとのたたかいで協力するよう呼びかけました。

新型コロナとのたたかいは、人間の命や安全、被爆者のみなさんが警告してきた核兵器の問題について考える大きな機会ともなっています。

世界にある核兵器の数はおよそ1万4千発。紛争であれ、誤報やミス操作、事故によるものであれ、そのうちの一部でも使われれば被害は計り知れないものになります。しかも、広島や長崎の膨大な犠牲が示すように、その被害者のほとんどは一般の市民です。

過去の世界大会(画像は、原水爆禁止2019年世界大会)で、核兵器のない平和で公正な世界を求める参加者

自分の国の利益や「安全」を第一とする核大国の自国優先主義の下で、いま、これまであった核兵器配備の制限さえ相次いで無効にされ、使いやすい新たな核兵器の開発・配備が急ピッチで進められています。核や平和の問題でも、もはや大国の軍拡や脅しではなにも解決しません。対立や分断は、みずからの信頼を損なうだけです。それは世界中の人々が日々、痛感していることです。

2017年7月7日、国連は、被爆者と市民社会の運動と協力し、人類の長年の願いであった核兵器禁止条約を賛成122、反対1の圧倒的大差で採択しました。条約に調印した国は81、批准した国は38か国に達し(2020年6月現在)、発効要件の50か国に一歩一歩近づいています。この流れは人々が協力し合えば、核兵器のない平和で公正な世界は可能であることを示しています。

平和の波・終結集会の動画

原水爆禁止2020年世界大会資料

実行委員会声明(PDF)

長崎からの手紙(PDF)

2020年NPT・被爆75年に向けて核兵器禁止の地球規模の共同をつくろう

来年、2020年8月は、広島、長崎への原爆投下から75年の節目にあたります。被爆者の平均年齢は82歳をこえています。「生きているうちに核兵器のない世界を」との被爆者の願いをかなえるために、これまでにもまして世論と運動、共同を大きく発展させることが求められています。

被爆者は長年にわたり、その筆舌につくしがたい体験を人びとに伝え、核兵器が人類と共存できないことを訴え続けてきました。「ふたたび被爆者をつくるな」の声は世界を動かし、2017年7月7日、歴史上初めて核兵器を法的に禁止する条約をつくり出しました。

被爆者や市民の声を力に生まれた核兵器禁止条約は、着実に参加国が増え、いま70か国が調印、23か国が批准しています。核保有国や「核の傘」の国ぐにの中でも、禁止条約への支持がひろがっています。

核兵器の禁止に反対しているのは、核保有国の政府など、ほんの一握りにすぎません。日本政府もアメリカの「核の傘」にしがみついて禁止条約に反対しています。 「核兵器は安全のために必要」だとする「核抑止力」論を打ち破り、「核兵器のない世界」を求める市民社会と政府の共同をさらに発展させるならば、必ず未来を切り開くことができます。 「ヒバクシャ国際署名」を世界数億へと前進させ、すべての国に核兵器禁止条約への参加を求めましょう。

被爆国にふさわしく、核兵器禁止・廃絶の先頭に立ち、憲法9条を生かす非核平和外交に転換させましょう。 核兵器のない世界と非核平和の日本の実現へ、内外で共同を大きくひろげ、新しい歴史をきりひらきましょう。

原水爆禁止2019年世界大会 草の根の活動が世界を変える!

1945年8月6日、9日-広島・長崎に原爆が投下され、2つの街が一瞬にして、「地獄」に突き落とされました。広島、長崎ではその年のうちに約21万人もの尊い命が奪われました。

しかし、原爆を使用したアメリカは、広島・長崎への原爆被害が世界に伝わることを恐れ、厳しい報道管制をおこない、実態は日本国民にも、アメリカ国民をはじめ世界の人びとにも知らされませんでした。

1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった水爆実験によって日本国民は三度の原水爆による被害を受けました。

ビキニ水爆被災事件をきっかけに、広島・長崎の被害、放射能による惨禍を広範な国民が知り、核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」が全国でとりくまれ、1年余で当時の有権者の過半数3400万に達しました。

こうした原水爆禁止を求める大きな国民の声を背景に、1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌56年には、長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開かれました。

以来毎年、世界の人々と連帯して世界大会が開催されてきました。いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。

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