被爆者とともに
人類は核兵器のない世界の実現へ進む
起こった年 | 核兵器禁止への歩み |
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1945年 | 広島、長崎への原爆投下 年末までに21万人が死亡 |
1946年 | 国連第1号決議は原子兵器、大量破壊兵器の禁止 ■米軍占領下の日本では、被爆者の声は抑えつけられた……。 |
1954年 | アメリカのビキニ水爆実験 多数の日本漁船も被災、第五福竜丸の乗組員が死亡 日本国民が原水爆禁止署名に立ち上がる |
1955年 | 第1回原水爆禁止世界大会開かれる(広島) 原水爆禁止署名3200万筆に 日本原水協創立 |
1956年 | 日本被団協の創立 被爆者の声が世界に広がり始める ■米ソを中心にした核軍拡競争が続き、核兵器は最大7万発に |
1970年 | 核不拡散条約(NPT)発効 以後5年ごとに再検討会議が開かれる |
1975年 | 神戸市議会が核兵器持ち込み拒否を決議 |
1985年 | 「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名、11か国の反核団体がよびかけ |
1987年~1991年 | 5回の地球を回る「平和の波」行動 |
1988年 | 第3回国連軍縮特別総会(SSDⅢ)、132か国の「アピール」署名を提出 |
1989年 | 「ベルリンの壁」崩壊。「冷戦」終結へ |
1995年 | NPTの無期限無条件延長を決定 |
2000年 | 第6回NPT再検討会議 核保有5か国、「自国の核軍備の完全廃絶」を受け入れ |
2005年 | 第7回NPT再検討会議 503万8108筆の署名を提出 |
2010年 | 第8回NPT再検討会議 「核兵器のない世界の平和と安全の達成」を合意 |
2013年~2014年 | 核兵器の人道的影響に関する国際会議を3回開催 |
2015年 | 第9回NPT再検討会議 633万6205筆の署名を提出 |
2016年 | 核兵器を禁止し、廃絶する条約を求める「ヒバクシャ国際署名」開始 |
2017年 | 国連交渉会議が開かれ、122か国の賛成で核兵器禁止条約を採択 |
2020年 | 4月オンライン原水爆禁止世界大会ニューヨーク開催 ⇒8月被爆75年、原水爆禁止2020年世界大会(オンライン) |
ヒロシマ 人類史上初めての核兵器使用
1945年8月6日午前8時15分、アメリカのB29爆撃機エノラ・ゲイは、広島市上空600メートル付近で1発のウラン原爆を爆発させ、一瞬にして広島市を破壊しました。人類の歴史上初めて戦争で使われた原爆は、40万人が働き、暮らすヒロシマを破滅させたのです。 広島の死者はその年の末までに約14万人にのぼります。かろうじて生き延びた人びとも体と心に深い傷を負い苦しめられてきました。
ナガサキ 三たび原爆を許すな
1945年8月9日午前11時2分、アメリカが投下したプルトニウム原爆が、長崎市上空で爆発しました。その年の末までに約7万人が命を落としました。多くの被爆者が傷と後遺症でなくなり、あるいはいまも苦しめられています。すでに抗戦能力をなくしていた日本に2発の原爆が投下された理由について、アメリカの歴史研究者たちは、第2次世界戦後に予測されていたソ連との対立に備えて、軍事力を示すためだったと指摘しています。
現在たたかわれている、ノーモア・ヒバクシャ訴訟で明らかになった被爆者の実態 ――今も続く、広島・長崎の核被害――
- 放射線被曝の影響は一生続く
- 被曝により起こる病気には …白血病はじめ種々のガン(胃、大腸、肺、肝臓、腎臓、食道、前立腺、乳房、皮膚など)、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、白内障、脳梗塞、などがあることが判決で確認されています。
- 被曝の影響は、広島・長崎での被爆者集団を対象とした疫学調査により確認されるが、それは今なお調査研究の途上にあること。従って、放射線被曝の人体への影響で分かっているのはまだ5%にすぎない。
- 皮膚被曝線量は爆心地からの距離に必ずしも比例しないこと。このことは、福島第一原発事故で飛び散った放射性物質の線量が同心円ではなく、ホットスポットとして、特定地域で高線量を示すことで実証されています。更に、直接被爆しなかった人が、家族を探して爆心地に入市し、残留放射線に被曝する、「残留放射線被曝」が重要です。また放射線を浴びた食糧を食べ、水を飲んで身体の内部から常時放射線を浴び続ける、「内部被曝」を忘れてはなりません。
核兵器は存在自体が人類生存の脅威
第二次世界大戦が終わり、平和で安全な世界の到来が期待されたのもつかの間、アメリカやソ連(当時)といった大国は核実験・核開発につき進み、人類をいくたびも絶滅の淵に追いやってきました。
中でもアメリカは、1960年代、ソ連や中国との全面戦争で先制核攻撃をした場合、全世界で6億人もの死者が出ると計算していました。今でもアメリカは、必要と判断すれば核兵器を先制使用する政策をとっています。
戦争に至らなくも、人為的なミスや事故で核兵器が爆発寸前になったことも数多くありました。また、核実験や事故によって広範囲にわたって放射線被害がもたらされ、世界各地にたくさんの核被害者が生み出されました。核被害者は、核保有国の責任を追及し、被害への補償をもとめてたたかっています。
非人道道的な核兵器は廃絶を
ヒロシマとナガサキの惨禍をふまえ、核兵器が人類の生存や安全にもたらす深刻な影響が明らかにされてきました。広島と長崎に投下された原子爆弾よりも、はるかに威力の高い核兵器がいまだに約1万4500発も世界にあります。1発でも使用されれば、空間や時間を超えて、取り返しのつかない被害をもたらすのが核兵器です。
ヒロシマ・ナガサキ、世界の核被害者。過去の話でなくいまの問題。1発残らず核兵器はなくす以外ありません。
原発ゼロ、核兵器禁止へ行動する日本を
東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から8年が経ちました。事故の最大の教訓は、過酷事故や放射能汚染をふたたび起こさないためには原発をなくすしかないということです。しかし、安倍政権や経済界は、国民の圧倒的多数の願いに反して原発の再稼働や輸出をねらっています。
8年前に起きたこと
2011年3月11日、三陸沖を震源とするマグニチュード9、最大震度7の東日本大震災が起きました。戦後最大規模の地震と直後に広範囲にわたった津波によって、約1万6000人の方が命を失いました。
三陸沖を震源とする地震や津波はこれまでたびたび起こってきました。にもかかわらず、東北地方には、大間、東通、女川、福島(第一、第二)と原発が国策によってつくられました。
東京電力福島第一原発については、2006年、第一次安倍政権のときに、大規模な地震が発生した場合の電源喪失による炉心溶融(メルトダウン)の可能性を国会で吉井英勝衆議院議員(当時)が追及していました。まさにそのような事態が起こったのです。まぎれもなく、政府や東京電力による人災でした。
第一原発に6つある原子炉のうち1~3号機がメルトダウンし、1・3・4号機が水素爆発を起こし、放射性物質が関東にも降り注ぎました。放射性物質はいまなお太平洋に大量に流出し続けています。タンクで処理を待つ放射能汚染は100トンに達し、溶け落ちた核燃料デブリ(堆積物)が溶岩状で大量に存在し、処理の見通しも立っていません。8年経っても、事故は収束しているとはいえません。
政府・東電は被災者を見捨てるな
政府の統計上、いまだに約5万1000人もの人びとが避難生活を余儀なくされています(2019年3月29日現在)。この中には、放射線被害から逃れるべく避難指定区域外から「自主的に」避難した人びとも多くいます。
安倍政権は、何重にもわたって被災者を切り捨てる政策をおこなっています。2017年4月以降、福島第一原発周辺の地域が、次々と避難指定を解除されています。しかし、病院や介護施設など生活に必要なインフラが元通りになったわけではありません。その上、解除と同時に、住民への賠償が打ち切られることになっています。
震災・事故から8年あまりがたっています。3・11のあの日を忘れず、被災地によりそうことがますます求められています。
原発依存から再生可能エネルギーへの転換を
世界をみわたすと、原発新規建設の中止や原発ゼロを打ち出す国が多数です。安倍政権が進めてきた原発輸出計画は、すべて断念に追い込まれました。
ところが、4月には日本経団連が、原発再稼働や原子炉の稼働期間を40年から60年に延長する提言を出しました。なぜ被爆国、地震国の日本に54基もの原発がつくられ、政府や財界は再稼働や輸出にこだわるのでしょうか。
ひとつは、政府・財界(原発メーカー、ゼネコン、メディア)・学界などが、原発をめぐる巨大な資金や利権にもとづいて一体となっていることです。吉井英勝元衆議院議員はこれを、「原発利益共同体」と呼んでいます。日本での原発再稼働や新増設にあくまでこだわるのは、海外に原発を輸出したいこととかかわっています。
「潜在的核抑止力」
もうひとつ、根深い問題があります。日本は、非核保有国の中で唯一、原発の使用済燃料からプルトニウム(核兵器の原料)を取り出して再び核燃料にする再処理を許されている国です。日本が保有するプルトニウムは、核保有国並みの47トンもあります。
この再処理の技術を、「潜在的核抑止力」として保有したいというのが、日本の指導者層が原発に依存するもう一つの理由です。1969年、外務省は「我が国外交政策の大綱」という文書で「当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持する」としていました。
これを後押ししたのはアメリカの政策転換でした。核不拡散の拠点から、再処理は核保有国だけのものでした。しかし、1981年に発足したレーガン政権は、日本の政財界の求めに応じて、再処理を認める原子力協定を結んだのです(1988年発効)。
目先の経済利益を追求する原発輸出も、核抑止による「安全」も、破たんを強いられています。放射線被害をこれ以上出さないために、原発をゼロにし、再生可能エネルギーへの転換を図ることが急務です。
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